あれから3年。そろそろ「主権者教育」を本格的に問い直すべきでは?

参院選2019が終わった。

今回の選挙は、公職選挙法が改正され、選挙権が18歳になった前回の参院選からちょうど一回り

個人的には今回の参院選・特に投票率がどれくらいになるかに注目をしていたが、結果的に投票率は50%を割り込んだ

そろそろ、「選挙」によりすぎている主権者教育を、本来行うべき形に戻していくべきではないだろうか。



主権者教育は「選挙の教育」だということを見直すべきタイミング

2016年の公職選挙法改正以降、主権者教育の実施校は確実に増えた。

僕が理事長を務めるNPO法人 NEXT CONEXIONでは、行政機関から委託を受け、昨年度県内の高等学校で主権者教育を行う事業を行ったが、そうでなくても近年は県内外問わずかなり多くの学校から主権者教育に関するオファーをいただいている。

しかし、テーマが「選挙」に偏りすぎていることにはずっと疑問があった。

そもそも、主権者教育の目的は「投票率を上げること」だけではないからだ。


平成29年3月に総務省が行った「主権者教育の推進に関する有識者会議」では、主権者教育を「国や社会の問題を自分の問題として捉え、自ら考え、自ら判断し、行動していく主権者を育成していくこと」と捉えるとしている。

つまり主権者教育とは、「単に」選挙に行く(=行動する)人を育成するのではなく、「自ら考え、判断する」ことも含めた教育である。


この、「考え、判断する」というのは、選挙期間のみに行えば身につくものでは決してなく、むしろ日ごろから習慣づけることが必要である。

また、1人で学べるものでもなく、家族や仲間とコミュニケーションをとりながら、いろんな価値観を知り、自分なりの答えを「とりあえず作る」トレーニングが大事になってくる。

そういったトレーニングが、主権者としての意識を涵養し、資質や能力を育むことにつながる。

このトレーニングを積む場所が不足していることが、主権者教育が抱える課題の1つであるといえる。 

また、「政治」に対する理解が、逆に主権者教育をこども達から遠ざけている。

というのも、「政治的中立」という言葉が教員や大人をしばり、距離を置く気持ちを生んでしまっているからだ。


政治という言葉を辞書で調べてみると、次の2つの意味が出てくる。

1.「主権者が、領土・人民を治めること。まつりごと。」
2.「ある社会の対立や利害を調整して社会全体を統合するとともに、社会の意思決定を行い、これを実現する作用」

おそらく多くの人が持っているイメージは1の方だ。

だから、政治をどこか重たく感じすぎてしまう。


一方、2から、政治は「社会の対立や利害を調整する」「意思決定を行う」という意味を持つことがわかる。

「社会」とは「人々が互いに関わり合う場」という意味があるため、政治とは、「人々が互いに関わり合う場」の「対立や利害の調整・意思決定」を行うという意味があることがわかる。

ところで、社会に唯一絶対の答えはない。そのため、政治にも答えはない

つまり、選挙や話し合いで出る結果は、社会の答えを「とりあえず」出したに過ぎないのである。

主権者は、選挙に行くと同時に、この「とりあえず出した答え」をチェックし、次の選挙でどういう答えを出すかを考えていくことが大切なのである。 


「若者は選挙に行かないと損をする」への違和感

選挙の前になるとよく、「若者は選挙に行かないと損をする」という話が出る。

極端ともいえる「少子高齢化」問題を抱える日本では、若者よりも高齢者が圧倒的に多い

しかし、どんな状況であれ投票は1票しかできない。高齢者の方が多いから若者は2票分の価値を持たせようという話は聞いたことがないし、今後もないだろう。

つまり、多数決である選挙を普通に行えば、票数を多く持つ高齢者の方が政治に対して影響力を持つことになる。

そのような状況で若者が選挙に行かなければ、若者向けの政策は後回しになり、若者は損をする

だから若者は1人でも多く選挙に行くべきだ、という話だ。


本当にそうだろうか。


講演会で、「自分が候補者だったら、票数が多い層に支持を訴えるか、投票率が高い層に支持を訴えるか」という質問をすると、見事に意見が分かれる。

つまり、おそらく「投票率が高くなると、政治家は声を無視できない」というのは本当のようだ。

しかし「若者は若者向けの政策を、高齢者は高齢者向けの政策を支持する」という前提は本当に正しいのか

地域の高齢の方とお話をしていても、「あんたのようなこれからの若者をどんどん増やしていかんといかん。」「教育や子育ての環境をもっと充実させないかん」という声は決して少なくない。

つまり、単純に「若者が選挙に行かないと、若者向けの政策が後回しになるため、損をする」とは言い切れない

こういう状況だからこそ大切なのは、「選挙にいこう!」ではなく、「政治(話し合いや交流)の場をつくろう!」なのだ。


選挙期間中に、僕が主宰をする「シビックスクール」に通う小学6年生の子が、次のような話をしてくれた。

彼女によると、選挙カーでの演説や投票に行く理由は、「お互いの候補者をののしり合ったり、世代間の対立をあおる」ように聞こえるらしく、多いに不満があるらしい。

彼女の鋭い指摘には驚かされたが、本来政治とはそういった利害を調整する役割があるはずだ。

むしろ、主権者教育は「選挙にいこう!」ではなく、「政治に参加しよう!」であり、そういった場を増やし、世代間の交流をしながら政治的感覚をトレーニングすことが必要なのである。



「知識習得型の主権者教育」ではなく「経験習得型の主権者教育」を拡充するべき

よく、「選挙に行かないのは、政治的関心が薄いからだ」という意見があるが、必ずしもそうとは言えない。

実際、投票率が80%を超えるスウェーデンの若者と比べても、日本の若者の政治的関心は大きく変わらない(むしろ高い)ことがわかっている。


つまり、日本の低投票率の原因は、「政治的無関心」よりもむしろ「当事者意識の欠如」にあるといえる。


選挙前に「若者は行かないと損する」とあおり、選挙後に「また低かった投票率」を繰り返す。

選挙権が18歳に引き下がり、主権者教育が注目されるようになった現在でも、残念ながらこの傾向は変わっていない。

「国や社会の問題を自分の問題として捉え、自ら考え、自ら判断し、行動していく主権者を育成していくこと」という主権者教育本来の目的を達成するためにも、まずは学校内外に限らず、気軽に政治や社会について語れる場を増やすことが必要である。

そして、同時にこども達が主体的に活動でき、「当事者意識を涵養する」機会を増やすことも求められる。

参院選は3年に1度、同じ時期に行われる。

次の3年の間に、主権者意識を育むためのどのような取り組みが行われるかにも注目していきたい。