自分にとって「3.11」とは


2019年3月11日


今日で「東日本大震災」から8年目を迎えました。

毎年3月11日が近づくと、「被災地の現状」や「復興」をテーマとした番組をテレビで見かけるようになります。

しかし、実は2011年の同時期に、同じような大規模な地震が他に2回あったことは、意外と覚えられていないように感じます。

そして、そのことが現代社会で足りていない日本人の課題を浮き彫りにしているような気もしています。


その2つ地震は、2011年2月22日にニュージーランドのクライストチャーチ近郊で発生した「クライストチャーチ地震」と、2011年3月12日に長野県で発生した「長野県北部地震(M6.7)」です。

たしかに、クライストチャーチ地震は海外で起こったこと(といっても、日本人の死者は30名近く出ている)、また長野県北部地震は東日本大震災の翌日だったこともあり、印象に残りづらい出来事だと思います。

しかし、この事実が個人的に「現代社会で足りていない日本人の課題」だと思うのは、日本の学びが「何(What)」「事実(fact)」に重きを置きすぎるがあまり、「なぜ(Why)」や「How(どのように)」などを置き去りにしていると感じるからです。


日本が地震大国であることは、日本人が当たり前に持っておくべき感覚です。

だからこそ、「被災地の現状」や「復興」から、「もしこれが自分たちの街だったら」という視点を持ち、そもそも地震はなぜ起きるのか、起きたときにどのように対応するべきかに、もっと重きを置くべきではないでしょうか。

もちろん、困難から復興を目指す人をメディアを通じて知ったり、それを見て日本全体で応援をしたりという雰囲気があることはとても大事なことです。

しかし、それに終始していては、地震という課題が持つ本質にたどり着くことはできません。


地震に限らず、「何(What)」や「事実(fact)」を学ぶことは、もちろん大事なことです。

東日本大震災を思い出す「3.11」というキーメッセージは、学びの上でもとても大切なトリガーであることは間違いありません。

同時に、人間は忘れやすい生き物です。事実、ここ数年でも大きな地震がたくさん発生しながら、私たちはあまり多くを覚えていません。

だからこそ「なぜ(Why)」や「How(どのように)」を考え、課題の本質を理解し、自分事として捉えたり、客観的にその事実を分析することが、次のよのなかにつながることだと思います。


自分にとって「3.11」とは、「なぜ(Why)」や「How(どのように)」を改めて考え、アクションを起こしていくことが大切だと改めて思い返してくれる日となっています。